Jazz Giant Series > Part1 : Tony Bennett
『トニー・ベネット』

“ザ・ワン・アンド・オンリー”の異名を持ち、
世界を魅了し続ける天性の歌声
Tony Bennett(トニー・ベネット)

あのフランク・シナトラに「お金を払ってでも聴きたい」と言わせ、「私の聴いた最高の歌手」とビング・クロスビーに語らせたトニー・ベネット。彼はアーティストの中で「一番共演したいエンターテイナーNo.1」として今も尊敬され続けている。

イージーリスニング、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)、ジャズと言った様々なジャンルを特有のテナー・ヴォイスで唄い上げ、トニー・ベネット・オリジナルサウンドにしてしまう凄さは今世紀最高のシンガーと称して過言ではないだろう。

「ビコーズ・オブ・ユー」、「霧のサンフランシスコ」からベネットが最大の敬意を表したフランク・シナトラやビリー・ホリデイのカバーまでを更なる輝きを放ちつつ、唄い上げる。

トニー・ベネット バイオグラフィー

本名アンソニー・ドミニク・ベネット。1926年8月3日ニューヨーク市クイーンズで生まれ、幼い頃から歌の才能に恵まれ、7歳にして初ステージを踏み、十代にはウェイターのアルバイトをしながら歌っていたが、実は画家を目指しており、専門の学校にも通っていた。しかし、天は彼にシンガーと言う運命を用意していたのであろう、絵描きだけでは生活が苦しく、名も知れないクラブで歌っているところをバール・ベイリーに発掘され、共にツアーを回り始める。その後ボブ・ホープに見出され1950年にコロンビア・レコードと契約、「夢破れ並木道」でデビューを果たす。

1951年に「ビコーズ・オブ・ユー」がミリオンセラーとなり、「コールド・コールド・ハート」、「貧者から富者へ」、「ストレンジャー・イン・パラダイス」などのヒットを連発する。

そして1962年、ベネットは生涯彼の代名詞ともなる一曲の歌と出会う。“I left my heart in San Francisco − 霧のサンフランシスコ”である。彼はこの名曲でグラミー賞2部門を受賞し、世界的スーパースターの地位を不動のものとする。この歌は1969年にサンフランシスコの市歌ともなった。

1970年代、80年代と精力的に活動を続け、90年代に突入後その勢いは益々快調となる。ベネットは彼が敬愛するエンターテイナー達のカバー・アルバムに挑戦し始めた。ベネット独自のテイストに仕上がった名曲の数々は話題を呼び、92年の「パーフェクトリー・フランク」と93年の「フレッド・アステアを唄う」はいずれもグラミー賞を受賞している。

時の過ぎ行きと共に忘れられるアーティストや、歳月を経て歌唱力に衰えを見せ始めるシンガーが少なくない中で、ベネットの感覚はむしろ時代と共に鋭くなり、彼特有の歌声も年を追うごとに円熟味をおびてくる。ここに至り、1995年にリリースされたライブアルバム「MTV Unplugged」は、アメリカのジャズ・チャートで35週間連続1位の座をキープし、再びグラミー賞を獲得すると共に若い年齢層のオーディエンスをつかみ、彼らの教祖的存在となる。

以後も96年の「レディースたちに乾杯」、97年の「ビリー・ホリデイに捧ぐ」、99年に子供向けに発売された「プレイグラウンド」などをリリースしては彼の天性のヴォイスと存在を世界に再認識させているのである。トニー・ベネットほど数多くのアーティストに尊敬され、愛され続けているエンターテイナーはいない。フランク・シナトラ、レイ・チャールズ、レッド・ホット・チリペッパーズ、エルビス・コステロ、カウボーイ・ジャンキーズなどなど、彼の信奉者は、世代、ジャンルを超えて枚挙の暇がない。もちろん、アーティストのみならずベネットの歌声は半世紀に渡り世界中の人々を虜にしてきたのである。

全公演概要
2000/3/15 大阪 大阪フェスティバルホール
3/19 東京 サントリーホール