Super Contents Series > Part4 : Cyndi Lauper
シンディ・ローパー
ザ・ベスト・オブ・シンディ・ローパー・コンサート

83年の衝撃のデビュー以来、
常にヒット・チャートを賑わし続け、
派手なコスチューム&メイクの個性的なルックスと
心に響くキュートな歌声で、今だ絶大なる支持を集め続ける!

【幼少時代】

1953年6月22日ニューヨークはブルックリン生まれ。幼い頃からストリートで近所の人達に歌を聴かせていた。5歳の時、両親が離婚。母親、姉、弟と共にクィーンズ近郊のオゾン・パークへ移住。

12歳の頃から髪を派手な色で染め、メーキャップをし、奇抜なファッションで身を包むようになった。またこの頃、姉のギターを借りて作曲を始める。学校ではあいかわらず周りになじめず、授業を受けるかわりに、絵を描いたり、歌を歌ったりして過ごす。17歳の時、自分のおかれている環境に嫌気がさし、ハイスクールを退学しついに愛犬スパークルと共に家をでる。その間、生活のためウェイトレス、絵のモデル、競馬調教師の助手、空手教室の呼びこみ等様々な職につきながら、アートスクールに通ったり、トロント北部にある森でテントを張り、スケッチをしながら過ごした。そんな生活をしながらシンディは自分が何物なのか? いったい何がしたいのかようやく分かり始めてくる。それは歌を歌うことだということに……。

【下積み時代-スターを夢見て】

1974年『ドッグ・ウエスト』というバーを中心に演奏するバンドのバック・シンガーとしてステージに立ち、次にシンディは『フライヤー』という、バンドのリードシンガーになり、ジェファーソン・エアプレイン、レッド・ツェッペリン、ジャニス・ジョプリン等の曲をカバーして演奏した。しかしシンディのオリジナリティあふれる自由奔放なパフォーマンスは、客やクラブのマネージャーからは理解されなかった。それでもシンディは粘り抜き、ロング・アイランドのバーというバーで果てしなく歌いまくる日々を過ごす。

1978年シンディはキーボード兼サックス・プレイヤーのジョン・テュリと『ブルー・エンジェル』を結成する。

1979年ブルー・エンジェルのデモ・テープが当時オールマン・ブラザーズ・バンドのマネージメントをしていたスティーブ・マサースキーの手に渡り、彼はシンディの歌にほれ込み、遂にバンドはポリグラムと契約。

サイモン&ガーファンクルで有名なロイ・ヘイリーがプロデュースしたアルバム『ブルー・エンジェル』とシングル『アイ・ハド・ア・ラブ』は1980年にリリースされるが、商業的な成功を収めることができず、バンドは解散してしまう……。

【世界への羽ばたき?トップ・スターへ】

その後、シンディは「ミホ」というジャパニーズ・バーで歌ったりしていた。その頃マネージメントを手がけていたデビッド・ウルフと知り合い(その後デビッドはシンディの恋人兼マネージャーとなる)、彼の紹介を経て1983年ポートレート・レコードと契約。このシンディのソロ・デビューアルバム『She's So Unusual』は、プロデューサーのレニー・ペッツやリック・チャートフ、後にフーターズを結成するロブ・ハイマン、エリック・バジリアン等を中心に制作され、1983年10月に発売される。このアルバムは発売直後あまり反応は良くなかったが、年が明け1984年、ファースト・シングルの「Girls Just Want To Have Fun」がMTVで頻繁に流されるようになると、ものすごい勢いで火がつき始めた。またシンディは様々なTV番組に出演したりして、全米のいたるところでシンディ・フィーバーが吹き荒れ、この年に開催された『第1回MTVミュージック・ビデオ・アワード』では「最優秀女性歌手賞」を受賞する。

コンサートも精力的にこなし、結局アルバムは全米第4位の大ヒットとなり、全世界で800万枚以上売り上げる。
シングルも「Girls Just Want To Have Fun」全米第2位、「Time After Time」第1位、「She Bop」第3位、「All Through The Night」第5位、と、デビューアルバムから4曲連続トップ5入りした初の女性ソロ・アーティストとなった。
またこの年の3月、プロモーションの為、初来日を果たす。

1985年5枚目のシングル「Money Changes Everything」も全米第27位のヒットとなり、『アメリカン・ミュージック・アワード最優秀女性ポップ・ロック・ボーカル賞、最優秀女性ポップ・ロック・ビデオ・アーティスト賞』、『グラミー賞 最優秀新人賞』等受賞。
また映画『グーニーズ』のサントラや、『WeAAreATheAWorld』のプロジェクトにも参加し、活動の幅を広げた。

1986年待望のセカンド・アルバム『True Colors』をリリース。本作は全米第4位の大ヒットとなり、全世界で400万枚以上のセールスを記録。シングルの「True Colors」も全米第1位の大ヒットとなる。
また初の大規模なワールド・ツアーも行われ、日本(武道館5公演を含む4都市9公演)、オーストラリア、北米、ヨーロッパと翌1987年まで行われた。またこのアルバムからのセカンド・シングル「Change Of Heart」第3位、サード・シングル「What's Going On」も第12位のヒットを記録。
1988年初の主演映画『バイブス秘宝の謎』が公開され、女優としての才能も大きな話題を集めた。

1989年サード・アルバム『A Night To Remember』をリリース。ファースト・シングル「I Drove All night」が全米第6位、アルバムが全米第37位となる。ワールド・ツアーもアメリカ、日本、韓国、東南アジア、オーストラリア、南米と行われ、大成功をおさめた……。

【本当の自分を求めて…】

1990年に入りシンディは歌うことに精神的限界を感じていた。デビュー時は自分の思うまま自由奔放に出来ていたことが、大ヒットし名声を得ると、歌や歌い方、アレンジ、ビジュアル・イメージと様々な面で周りのスタッフに制限され、音楽作りの面でも自由を失っていったという。そんな時オノ・ヨーコからリバプールで行われる『ジョン・レノン生誕50周年コンサート』への参加を依頼され、「Hey Bulldog」「Working Class Hero」をシンディ自身でアレンジし、バンドメンバーと演奏する。そこでシンディは、歌うことの楽しさ、喜びを再び取り戻す。さらにベルリンの壁崩壊を記念してベルリンで行われた『ザ・ウォール・コンサート』にも参加。この年の暮れ、『紅白歌合戦』出演の為に来日する。

1991年『アメリカン・ミュージック・アワード・コンサート』の為再来日し、横浜アリーナで2公演を行う。また同年、シンディ主演映画第2弾『Off And Running』が公開される。この映画で共演した俳優のデビッド・ソーントンと11月24日結婚。結婚式はニューヨークの教会で、リトル・リチャードが牧師、パティ・ラベルがウエディング・ソングを歌うなど豪華に行われた。

1992年ミュージカル『タイク?ン』のサウンド・トラックに参加し、シングル「The World Is Stone」がヨーロッパ各国、特にフランスでは3ヶ月間トップ5内を記録するなど大ヒット。

1993年フーターズのロブ・ハイマン、エリック・バジリアンやアリー・ウィリス、夫のデビッド・ソーントンらの助けを借りて制作された、第4作『Hat Full Of Stars』が発表される。この作品では、シンディ自身で全曲曲作りに携わり、プロデュース、アルバム・カバー、さらにビデオ監督まで全てを手かげた。このアルバムは商業的な成功など関係無く、シンディ自身がやりたいことをやるために制作された。信じられる歌だけを歌い、再び自由も取り戻したシンディは、自分の真実を語った新しいアルバムを一人一人に聞かせるために、アメリカでのクラブ・ツアーを行い、大きな話題を呼んだ。この年の年末、来日公演を行いその後、シンガポール、台湾と回る。

1994年初のベストアルバム『Twelve Deadly Cyns ... And Then Some』が発売され、ワールド・ツアーも南米、欧州、日本と行われた。

1995年ツアーも引き続きイギリス、オランダ、アメリカと行われ年末に再来日公演を行った。また前年に引き続き、アメリカのTV番組Mad About Youに出演し『エミー賞コメディ部門最優秀ゲスト女優賞』を受賞する。

1996年2月3日、阪神大震災復興を願い、神戸生田神社で行われた節分祭に参加するため来日。1万人を超える参拝客であふれる境内に振りそで姿で登場したことは、今だ記憶に新しい。また、約3年ぶりのオリジナル・アルバム『Sisters Of Avalon』が日本で先行発売され、4年連続となる年末来日公演を行う。この時の武道館公演では、アルバムにも参加した 「上々颱風」が飛び入り参加した。

1997年世界各国で『Sisters Of Avalon』が発売されれると、ティナ・ターナと共に大規模な北米ツアーにでる。
そしてこの年の11月19日待望の第1子ディクリーン・ワレス君を出産。

1998年初のクリスマス・アルバム『Merry Christmas...Have A Nice Life』を発表。

1999年『グラミー賞 Best Dance Recording』部門にノミネートされた「Disco Inferno」がクラブチャートでヒットし、シェールと共に3ヶ月半に及ぶ大規模な北米ツアーにでる。またアメリカのTV番組「Mad About You」に再出演したり、クリストファーウォーケンと共演した映画『The Opportunists』の撮影が始まる等、女優活動も精力的に行う。そして2000年、映画『The Opportunists』が公開され、各方面で高い評価を受ける。またこの年、ジョニ・ミッチェル・トリビュート・コンサートに出演したり、シェリル・クロウ、ハート、ディスティニーズ・チャイルド達と共にガン撲滅のためのチャリティー・ライブ『Girls With Guitar Concert』に出演するなど常に注目を集め続けた……。

【新たなる挑戦、そして…】

2001年坂本龍一の呼びかけで地雷撲滅の為のチャリティーレコード『Zero Landmine』に多くのミュージシャンと共に参加。また『ジョン・レノン・トリビュート・コンサート』に参加し、セントラル・パークで、「Strawberry Fields Forever』を歌う。この年『Merry Christmas...Have A Nice Life』以来3年ぶりとなるオリジナルアルバム『Shine』が完成。旧友ウィリアム・ウィットマンやロブ・ハイマン、ジャン・パルスフォード、坂本龍一等との共作曲を収録したこのアルバムは、2001年夏にEdel America Records から発売される予定であった。しかし発売直前にこの会社が倒産し、アルバム発売は急遽中止となってしまう。2002年、再びシェールと共に6ヶ月にも及ぶ大規模な北米ツアーを行い、延べ100万人以上の観客動員数を記録し、シンディの変わらない驚異的なライブパフォーマンスに各方面から大きな賞賛を受ける。2003年、6年振りとなるニュー・レコーディング・アルバム「At Last」を発表。耳馴染みのあるスタンダード・ナンバーをしっとりと歌い上げるカヴァー・アルバムで、また違ったシンディの一面を見せてくれた。昨年6月の来日公演で見せた貫禄のステージも記憶に新しい。

ザ・ベスト・オブ・シンディ・ローパー・コンサート2004

6/13:東京厚生年金会館
6/14:北海道厚生年金会館
6/17:渋谷公会堂
6/18:大阪厚生年金会館
6/20:名古屋市公会堂
6/21:渋谷公会堂
6/23:広島アステールプラザ
6/24:福岡市民会館